北近畿タンゴ鉄道宮津線は京都府の西舞鶴駅を出発し宮津、天橋立駅を経て兵庫県の豊岡駅までの83.6kmを、およそ二時間で結ぶ第3セクター鉄道、車窓に映す景観は常に変化し旅を一層楽しくさせてくれるローカル線です

宮津線起点の西舞鶴駅は若狭湾に面し、日本海の商港として発展してきた舞鶴市の中央部に位置しています。列車が西へ向って大きく粉を描きながら西舞鶴駅を出発すると東雲駅(しののめえき)の手前まで列車は山々の間を走り抜けて行きます。長閑な田園風景と山の緑が車窓に流れています

東雲駅を過ぎると列車の車窓左側には由良岳と、その山裾を流れる由良川が見えてきます。列車の直ぐ右には広大な若狭湾が広がっています

列車は丹後神崎を過ぎ由良川の河口付近でカーブを終えた頃、長さ五百五十メートルの由良川橋梁を渡ります。右側車窓には小さな冠島が若狭湾にポッカリ浮かんでいます。列車は由良川の河口から福知山を結ぶ内陸水運で栄えた港町、宮津市由良へと入って行きます。開け放った車窓から風が気持ちよく頬を撫で行きます

丹後由良駅から栗田駅(くんだ)間は二つのトンネルを抜けながら左眼下には砂浜と断崖が続き、静かに寄せては返す波と青く澄んだ海が車窓に移って行きます。車窓背後に風光明媚な栗田湾(くんだわん)更にその奥に若狭湾が広がってくると列車は栗田の落着いた町並み見ながら内陸部へと入って行きます。

再びトンネルを抜け車窓から海が見えて来ると列車は宮津駅に到着します。、室町時代末に細川藤孝(幽斎)の城下町として発展した宮津は若狭湾に面した港町です。織田信長は、有力武将の明智と細川のつながりを深めさせようとの策略から明智光秀の娘、玉と細川忠興(ただおき)を縁組させました。後に細川ガラシャ(玉)は、ここ宮津の城から味土野(みどの)に幽閉されました。後にやっと丹後宮津城で暮らす事が出来たキリシタン「ガラシャ」に父明智光秀の謀反により再び悲境の底に突き落とされてしまうのです。又この宮津には日本で最も古い現役の聖堂を持つカトリック教会「洗者聖ヨハネ天主堂」もあります(徒歩五分位)

宮津の城の遺跡は港近くに城址(じょうし)を示す石碑と太田内科病院内の裏側に宮津城本丸の城壁がわずかに残っているにすぎません。本丸城壁に手を置けば少しでも当時を偲ぶことが出来るかもしれません

宮津を後にして列車は陸奥の松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つ丹後の天橋立の玄関口に到着します

駅から天橋立までは徒歩およそ五分、全長およそ3.6km、砂や小石が体積して見事な造形美を創り出している天橋立の中には対岸に渡ることが出来る一本の道があります。その両脇には約八千本の黒松が歴史を感じさせながら青々と茂っています。また、天橋立の地下から涌く天然水「磯清水」その水を飲むと長生きできると昔から言い伝えられています。(現在水質調整中)

天橋立を渡って丹後半島、笠松公園から見渡すと左側に与謝の海(
宮津湾)、右側の阿蘇の海を隔て手前の江尻から対岸の文殊まできらきら輝く美しい秋の海の中に天橋立が一筋に延びています。天橋立の美しさは文殊山からも雄大な景観が味わう事も出来ます

天橋立駅を出発した列車は二つ目の野田川駅に到着します。かつては加悦鉄道が、当時は丹後山田駅と呼ばれた野田川駅から加悦町間の5,七キロの短い距離を走っていました。
「ニッケル」「丹後ちりめん」を輸送する為の貨物路線として活況を呈してましたが、現在は廃線となってしまいました。
加悦町役場付近には今もちりめん街道筋に趣のある家並みが続き、はたを織る機械の音が聞こえ旅情を誘います。更に奥には「日本の駅百選」にも選ばれた旧加悦駅舎が復元され往時を偲ぶこともできます

野田川駅を出発した列車は勾配を上りながら丹後半島の付け根を横切り始めると窓外に映る風景は潮風の香る海辺から内陸の山々に囲まれた田畑の風景に変わって行きます

列車は丹後半島のほぼ中間位置する峰山駅(みねやま)に到着します。この駅からは京丹後市弥栄町(やさかちょう)の
細川ガラシャ隠棲(いんせい)の地であった味土野に行けます。
1958(
天正10)年の夏からの二年間、宮津城主細川忠興(ただおき)の妻・玉が隠れ住まわされた「女城」がありました。今では小さな丘の上に「細川忠興夫人隠棲地」の碑が立っています。
当時人一人訪れぬ丹後半島の山奥に、恐怖による支配下のもと幾年も年月を幽閉(ゆうへい)されたお玉の胸中、さらにそれをさせた夫・忠興の胸中を思いながらも列車は半島を抜けて行きます。しばらくしてマラソン開催地でもある網野駅に到着します

ヨットの帆をイメージして造られた駅舎を持つ網野駅は丹後半島内陸からの出口にあたります。半島入口にあたる野田川から網野にかけて丹後山地一帯は丹後ちりめんの山地でもあり、積雪が多く、水田が乏しいことから副業として京都の友禅染などに使われているちりめんを織る農家が多くあったそうです。

十時網野小学校から十キロ、ハーフの部が一斉にスタートします。スタートして八丁浜を右に見て一キロ強位にある浅茂川漁港位まではほぼ平坦ですが、ここからはかなりの上り勾配が続きかなりハードなコース、しかしコース上から見る日本海の景観には感嘆させられます。六キロ地点で折返し八丁浜を今度は左見て国道178号を走って浜を過ぎると本格的なアップダウンが待ち受けています。時折農家のおばーちゃんが腰をかがめて応援してくれ姿に力をもらってゴールを目指します。ゴール後は網野高校美術の学生達が、校舎の周りに咲くアカシヤの花をモチーフにしてセンス良くデザインされたTシャツを頂き駅に向います

宮津駅を出た列車は半島を抜け木津温泉を過ぎ左に大きくカーブしながら久美浜湾に近づいてくると右側の車窓からは兵庫県との県境である山並みが見え始めます

丹後神野駅を過ぎると前方右側に久美浜湾の直ぐ横にそびえる甲山(こうやま)の山頂が車窓に映ってきます。列車は甲山駅を過ぎ三方が山に囲まれた静かな久美浜町を持つ久美浜駅に到着します。

久美浜を出て上り勾配の緑深い山間部を列車は走って行きます、北近畿タンゴ鉄道宮津線最後のトンネルを抜け下り勾配をスピードを上げて列車が下り始めると、正面には山々に囲まれた豊岡市の町並みが見えてきます。円山川橋梁(まるやまがわ)を渡ると、しばらくして列車はゆっくりと豊岡駅のホームに到着して行きます

深い緑が続く山間内陸部と風光明媚な日本海沿岸に沿って走ってきた宮津線。トンネルの切れ目から覗く紺碧の海に心洗われ,潮の香りと山の空気を味わう個性溢れる八丁浜マラソンと一度に味わえる旅でした


最後に大会で親切にして下さった中西美和子さん、貴大くん、駿くん有難うございました。


北近畿タンゴ鉄道

あみの八丁浜ロードレース
宮津駅前食堂
宮津城本丸城壁跡
ヨハネ天主堂
天橋立(笠松公園から)
天橋立松林磯清水

旧加悦駅舎

ちりめん街道
豊岡駅ホーム

あみの八丁浜
北近畿タンゴ鉄道宮津線&あみの八丁浜ロードレース